料理人を、志した日。
15歳の冬、父に連れられて入った浅草の老舗焼鳥屋。何の変哲もないつくねを一口食べて、世界が止まった。火と肉と塩。それだけで人を泣かせるものをつくれる仕事があるのか――。 その夜、母にだけ「料理人になる」と告げた。高校卒業と同時に、神奈川を出た。
1980年、神奈川県生まれ。20代で銀座「鳥しき」に入店、十年の修行を経て、2018年に中目黒の路地裏で独立。
「焼くのではなく、待つ」。修行先の親方から受け継いだこの一文を、燈の唯一の流儀としています。
15歳の冬、父に連れられて入った浅草の老舗焼鳥屋。何の変哲もないつくねを一口食べて、世界が止まった。火と肉と塩。それだけで人を泣かせるものをつくれる仕事があるのか――。 その夜、母にだけ「料理人になる」と告げた。高校卒業と同時に、神奈川を出た。
銀座「鳥しき」の門を叩いたのは22歳の時。最初の三年は仕込みのみ。鶏の解体だけを覚える日々。四年目で串打ち。 焼き場に立たせてもらえたのは入店から七年後だった。親方は多くを語らない人だった。ただ一度だけ、「焼くな、待て」と。 十年を経て、ようやく一本を任された。
38歳の春、独立。だが最初の半年は、毎晩眠れなかった。銀座の親方の影が大きすぎた。「自分の店」とは何か――その問いに答えが出なかった。 ある夜、深夜に炭の前で一人、まかないの鶏を焼いていた時。ふと、待つことの「孤独」が、気にならなくなった。 それが、燈の出発点だった。
路地裏を選んだのは、駅から少し歩く距離が大切だったから。看板を出さなかったのは、迷う時間も含めて、店であってほしかったから。 四席のカウンターと四つの個室。一晩に向き合えるのは、せいぜい二十名様。それで生きていける店をつくる――それが、独立の覚悟だった。
開店から八年。今日もまた、夕方になると炭を熾し、鶏に包丁を入れ、串を打つ。腕は上がったかと聞かれると分からない。ただ、待つことには、慣れた。 一本にかかる時間は、ときに10分。お客様には、ゆっくりお話していただきたい。火を見ていただきたい。一杯目の酒を、味わっていただきたい。 その時間こそが、燈です。
強い火で一気に仕上げない。備長炭の遠赤外線を、芯まで通す時間を、待つ。料理人にできるのは、ここまで。
脂の落ちる音。皮の収縮する音。炭が爆ぜる音。レシピより、その夜の音の方が正確だ。だから、店内ではなるべく、静かに。
まとめて出さない。一本焼けたら、一本お出しする。お客様の一口一口に、料理人の目が届く距離で。それが、カウンター四席の意味です。
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